Q&A
伊東勤に聞く
Q.1 伊東さんと言えば、現役時代は非常に身体が強く、滅多に怪我などをしないことで有名だったと思います。身体のケアで何かお気遣いされていたことはあったのでしょうか? (神奈川県・新純一さんからの質問)
A.1 怪我に強かった一番の要因は持って生まれた強さだと思います。そういう身体に生んでくれた両親に感謝です。次は食生活ですね。今の選手の間ではサプリメントで栄養を摂取することが流行っていますが、私は小さい時からおやつ代わりに小魚でカルシウムを取ったり、自然の食品でバランス良く栄養を取る習慣が身に着いていました。食卓にも木の実とか根菜類がよく出されていました。あとはとにかくお米を食べること。おかずはなくても、お米だけはしっかり食べていましたね。
Q.2 現役時代、最も思い出深いのはどの試合でしょうか? (東京都・わかばやしみちよさんからの質問)
A.2 やっぱり1994年の近鉄との開幕戦ですね。八回まで野茂英雄投手にノーヒットに抑えられるなど劣勢の展開から、九回に私の逆転満塁ホームランでサヨナラ勝ちを収めた試合です。そこまで西武の他の打者はすべて野茂投手に三振を取られていましたが、私だけが2打席で2四球を選んでいました。近鉄の鈴木啓示監督は私の前で野茂投手から赤堀元之投手に代えました。私はその前年、赤堀投手には確か7打数で無安打。相性が悪く、西武ベンチでは打撃コーチが当時の森祇晶監督に「伊東を代えましょう」と進言したそうなのですが、森監督は「もう1回打たせよう」と私をそのまま打席に立たせてくれました。2四球の内容が良くなければ生まれなかったホームランだったでしょう。
Q.3 では監督時代、最も緊張したのは試合は?
A.3 私は現役時代からほとんど緊張することはなかったのですが、監督就任1年目のプレーオフ第1ステージ初戦はものすごいプレッシャーがかかりましたね。初めてプレーオフが導入された年で、西武は2位通過で相手は3位通過の日本ハム。「絶対に負けられない」という気持ちでいっぱいで、プレーボール直前のベンチでは手に汗がべっとりとついていたことをよく覚えています。
Q.4 プロ生活で影響を受けた人は?
A.4 私がルーキーの時の監督で、広岡達朗さんです。高校時代も過酷な練習をしてきたつもりでしが、それをはるかに越える厳しさでした。プロはここまでやるのか、ここまで厳しいのかと思いながらやっていました。広岡さんはとにかく基本を大事にされる人で、私も若い時にその基本を徹底したからこそ、22年間現役を続けられたのだと思っています。
Q.5 人生最後にどこで外食したい?
A.5 佐賀県にある『井手ちゃんぽん』というお店のちゃんぽんですかね。私が23、24歳の頃から自主トレをやっていた場所の近くにあるお店なのですが、豚骨ベースでラーメンに近いちゃんぽんです。こってりしていていながら、まろやかで…。昼時には行列が絶えません。機会があれば是非、皆さんも行ってみてください!
Q.6 験かつぎは?
A.6 監督時代は特になかったのですが、現役時代には一つだけありました。ネクスト・バッターズ・サークルから打席に向かう時、知人から贈られた「歓喜、成功、富」という言葉を心の中で念じてから打席に立つことです。
Q.7 もう一度、選手生活をやり直せても捕手?
A.7 一度は捕手以外の野手をやってみたいですね。捕手は体力的はもちろん精神的にも過酷なポジションです。試合中はグラウンドのすべてを見渡し、瞬時の判断が求められるケースが多々あります。勝っても負けても試合が終わると、もう次の試合でリードする投手のことを考えなければいけません。1試合、1シーズンで目まぐるしく変わる状況に振り回される仕事です。一度でいいので、自分の打撃のことだけを考えてプレーしたかったですね。(笑)




