楽天の田中将大投手は今季、1ランク上の投手になりました。好投手がそろうパ・リーグにあって、ダルビッシュ有投手(日本ハム)とともに一歩抜けた存在感を示しました。
投球フォームからより力みが消えました。力を込めていないように見えるのに、球は走るという理想的な状態に近づきつつあります。これからも故障のリスクは小さく、あと3、4年は球速が上がる可能性も秘めています。
打者との駆け引きにも成長が見られました。直球を待っているところに変化球、逆に変化球を待っているところには直球と狙い球を洞察しつつ、自ら投球を組み立てる余裕が出てきました。完投への意識の高さもずばぬけており、分業制が確立された現代野球では貴重な存在ですね。
精神的にはエースの自覚が強くなったように映りました。背景には高校時代にその対決で注目された斎藤佑樹投手(日本ハム)がプロ入りし、先にプロで積み上げた4年間を見せつけて何かと比較する周囲を黙らせたい気持ちはあったでしょう。
さらに、昨オフには同僚の岩隈久志投手が一度はチームを去る決意をし、そろそろ2番手から脱却する時期に来たことを感じてもいたのではないでしょうか。
確かに統一球の導入が飛躍の一因に挙げられると思います。しかし、それがなかったとしてもこの好成績を残したのではないかと思わせるほど、今季の田中投手は心技体が充実していました。
diary2011/10/24
ソフトバンクがリーグ2連覇しました。最大の勝因には秋山監督の決断力が増したことを挙げたいと思います。
監督業はあらゆる局面で、複数の選択肢の中から決断を迫られるものです。秋山監督は今季が3年目。昨季までは前任者の王貞治監督(現球団会長)に遠慮しながら采配を振っていたように見えることがありましたが、今季は全くと言っていいほどそんな感じがなかったですね。
松中信彦選手、小久保裕紀選手にも試合途中で代走を送るなど、容赦なく代えていました。抑えの馬原投手が不調とみると2軍に落とし、主力でも聖域をつくりませんでした。その試合に臨む時点で好調の選手、その場面で最も力を出せる選手を使う采配に徹していました。
最大のヒットは摂津の先発転向です。リリーフで実績を残した投手の配置転換は迷うところですが、そうと決めるとぶれることはありませんでした。金沢投手らでその穴を埋める起用法も当たりました。
ソフトバンクは開幕前から下馬評が高かったです。簡単なことではないのですが、その通りに力を発揮しました。あとはこれまで勝てなかったポストシーズンです。
優勝した翌日、秋山監督はベストメンバーを組み、勝っています。この采配にはまだ大きな目的が残っているというメッセージを込めたと思いました。同時に、ソフトバンクにはこれまでのポストシーズンとは違った結果が待っていることを予感しました。
diary2011/10/17
日本ハムの梨田監督が退任を発表しました。潔いというより、なぜ優勝の可能性が十分にあるこの時期にと釈然としない思いが残りました。
来年指揮を執らないことが決まっている監督の下で、チームが一丸となるのは極めて難しいことです。監督に花道を飾ってほしいと思う選手が出てくるかもしれませんが、大抵は求心力を失い、それが勝負に悪影響を及ぼすものです。
紙一重のプロの世界で、これは勝敗を分けるほどの大きな要因となります。発表直後のチームの不振がそこに起因すると捉えられても仕方ないでしょう。
例えばクライマックスシリーズ前の発表なら、残りは短期決戦なので選手の奮起を促し、勢いがつくこともあると思います。しかし、今回はあまりにも残り試合が多い時期での発表でした。
ヒルマン前監督もそうだったように、これが日本ハム球団の体質といえばそれまでですが、もっとやり方はあったに違いありません。梨田監督に自ら発表する意志が強かったとしても、引き延ばすように説得してもよかったと思います。結局は球団が監督というポジションを軽視しているようにも見えました。
もちろんチームの優勝を期待し、応援しているファンに対しても配慮を欠いていると言わざるを得ません。また来年もシーズンはやって来るとはいえ、フロントと現場はもっと目先の勝負に真摯に向き合うことが求められているのではないでしょうか。
diary2011/10/10
9月10日に田中将大投手(楽天)と斎藤佑樹投手(日本ハム)が初めて投げ合いました。スコアは4―1と一方的な展開にはなりませんでしたが、点差以上に力量差は歴然でした。
高校野球史に残る名勝負を繰り広げた2人。斎藤投手が「これが4年間の差かな」と話していたように、4年間でここまで差がついたのかと思いました。
高校で有望だった選手がプロで大成しないと、プロより大学の方が選手を育てる力があるという意見をよく聞きます。しかし、そういう選手はたとえ大学を経てプロ入りしたとしても同じ結果に終わったのではないでしょうか。
プロは実戦と練習の質、量ともアマチュアとは比べものになりません。人間性を磨きたいなら、大学や社会人の方がプラスになるかもしれませんが、純粋に力を付けたいなら一日も早くプロ入りした方が正解だと、2人の差を見て実感しました。
勝って当たり前だった田中投手に対し、斎藤投手も必死で食らいついていったように見えました。日本ハムベンチにはいろいろな事情があったと思いますが、プロ初完投をマークしました。斎藤投手は田中投手が自らの力を引き出す存在であることを再び確認したと思います。
現時点で2人の投げ合いは話題先行と言わざるを得ません。数年後、高校時代の名勝負が色あせないほどのカードとなるよう、斎藤投手が力を付けることを待ちたいですね。
diary2011/10/03
中日の岩瀬仁紀投手がプロ野球史上初めて300セーブを達成しました。抑えに定着したのは2004年。プロ入りした1999年から03年までは中継ぎだった投手です。
走者がいる場面で登板し、ヤクルトなどでプレーしたペタジーニ選手、巨人の松井秀喜選手(現アスレチックス)らセ・リーグの並み居る強打者を抑えてきました。セーブは付かなかったのですが、ある意味、抑えより厳しい場面で登板数を重ねてきました。仮にこの5年間も抑えだったら…。400セーブに到達したかもしれないなとさえ思いましたね。
私が西武監督に就任した03年秋、中日は誰が来季の抑えを務めるのかがポイントでした。オフに会った星野仙一氏(現楽天監督)は「岩瀬がいる。すごい投手だから」と中日監督時代に知る左腕をこう評していました。当時は交流戦もなく、岩瀬投手の投球を見たこともありませんでした。こんな投手になるとは思いもしなかったです。
今は確かに全盛期の球威は失っています。しかし、球威ではなく、制球力で打ち取る技術には磨きがかかっています。体も強いです。人一倍のケアとともに、投げ方が理にかなっているからです。スリークオーターで、得意の変化球はスライダーと肩、肘の負担が小さいように見えます。
勝敗を一身に背負う役割で、重圧に耐える精神力の強さもあります。心技体、この三つをこれほど高い次元で、しかも長く保ってきた投手を私は知りません。
diary2011/09/26
中日の谷繁元信選手が8月25日のヤクルト戦(神宮)で、プロ23年目で初めて一塁手として先発出場しました。私は現役時代、谷繁と同じ捕手でした。捕手以外の守備位置に就いた経験はありませんでいたが、レギュラー定着前に外野の練習を行ったことはあります。
左投手への打撃を評価され、試合前の練習で急きょ、中堅の守備練習を命じられました。熊本工業高校時代に外野を守った経験はありました。しかし、プロの打球は速さなど質が違います。特に中堅は正面への打球で、距離感をつかむのが難しかったですね。
出場した場合のストレスは想像に難くなく、実際に一塁手で出た谷繁は神経をすり減らしたはずです。捕手の方がよほど楽だったと思います。
和田一浩選手(中日)ら捕手からコンバートされ、成功を収めたケースは少なくありません。それは捕手の動作を一通り覚えれば、他のポジションをこなせることを意味しています。
捕手は座っているところから動くことがほとんどです。立っているところからと比べ、始動は遅れます。捕球も、送球も遅れないように動こうと鍛えています。ワンバウンドなど難しい捕球が多く、例えば一塁手でショートバウンドを処理する時にも応用は可能です。
阿部慎之助選手(巨人)が一塁を守れるのも、捕手としての土台があるからこそ。谷繁選手の姿を見て、捕手はつぶしが利くポジションだとあらためて感じました。
diary2011/09/20
山崎武司選手(楽天)が最年長で通算400号本塁打を放ちました。金本知憲選手(阪神)の40歳1カ月を大幅に超える42歳9カ月での到達でした。典型的な大器晩成型の選手ですね。西武監督として対戦したオリックス時代を考えると、まさかここまで長く活躍するとは思いませんでした。
当時は出てきてくれればありがたいと思うほど、くみしやすい打者でした。打てないコースが決まっていたからです。それは内角の速球と外角のスライダー。特に内角球はほとんど詰まっていました。試合前のミーティングで相手打者の対策を練るとき、山崎選手は話題にも上らない存在でした。
転機は本人も認めているように、楽天で野村克也監督に出会ったことでしょう。中日ではタイトルを取るなどリーグ屈指の強打者となり、実績と年を重ね、次第にコーチら周囲には扱いにくい選手になっていったと思います。しかし、本人の成績は下降線をたどる一方でした。そこに実績も年齢もはるかに上の指揮官が就任したのです。素直に野村監督の野球観に耳を傾ける素地は整っていたのだと思います。
野村監督の影響で、あまり考えずに来た球を打っていたのが配球を読む打撃に変えました。もともと捕手でプロ入りしたのだから、配球に興味は持っていたと思います。
そしてツボにはまれば、遠くに飛ばす力は失ってはいませんでした。内角速球もスライダーもスタンドに運ぶ今の姿には、成長ぶりを感じずにはいられませんね。
diary2011/09/13
頭部への死球で左頬骨にひびが入った長野久義選手(巨人)が復帰戦となった8月13日の広島戦(東京ドーム)で決勝三塁打を放ちました。同7日の負傷からまだ日は浅かったです。恐怖心が残らないはずがありません。その気持ちの強さには感心しました。
私は西武の現役時代、レギュラーに定着しつつあるとき、頭部に投球を受けたことがありました。その打席、走者なしの場面で初球にセーフティーバントの構えを見せました。2球目、恐らく投手には威嚇の意図があったのでしょう。制球がいい投手に危険な球を投げられました。鼻骨を折り、担架で退場したのです。
すぐに入院しました。麻酔で眠って記憶にはありませんでしたが、付き添っていたトレーナーが曲がった鼻を手で元通りに戻しました。その際「カチッ」と音がしたそうです。翌日退院し、数週間後に試合に復帰したのでした。
最初の打席は死球の残像に苦しみました。内角寄りだとストライクの球でも自然と体が逃げてしまいました。踏み込みが甘くなり、バットに力を伝えられませんでした。あえなく力ない飛球に終わったのを覚えています。
そこからは必死に逃げない気持ちを強く持ちました。踏み込みながらよける体勢をつくる、相反する動作を同時に行うように努めました。これができなくなったら引退だと必死の思いでした。頭部死球の克服は選手生命を左右すると言っても過言ではありません。それだけに長野の活躍は非常に価値が高いと思いました。
diary2011/09/06
全国高校野球選手権大会が開幕しました。野球人にとっては、誰もが思い入れのある夏の甲子園。熊本工高校時代に出場した私も例外ではありません。
今年は東日本大震災に見舞われ、特別な意味を持つ大会です。ただでさえ高校野球を見るときは、リードされているチームを応援してしまうものです。多くの困難を乗り越え、晴れ舞台にたどり着いた被災県代表のチームに肩入れするのは人情でしょうか。
高校野球も時代とともに随分変わりました。細かなことだが、昔はバッティング手袋をする選手はほとんどいませんでした。トレーニング方法の進化により、能力の高い選手の力が一段と引き出され、突出した選手が現れるようになっています。
技術的なことい目を向けると投手の球種が増えました。ツーシームなど細かく動く変化球を操るプロの影響を受け、今や3種類以上の変化球を持ち球にしている投手も少なくありません。
しかし、逆に直球で勝負する投手が減ったように思えます。金沢高校のエース、釜田投手は150キロを超える直球を持ち、初戦で10三振を奪いましたが、ウイニングショットの多くは変化球でした。空振りを取れる変化球があるのは素晴らしいことですが、たとえ打たれても直球でいく方が得られるものが多いとも思いました。釜田投手だけではなく、もう一つ上のレベルを目指せる投手なら、変化球に頼らず、直球を磨いてほしいですね。
diary2011/09/01
伊良部秀輝氏が死去しました。突然の出来事に言葉を失いました。心よりご冥福をお祈りしたいと思います。
伊良部氏がロッテの投手時代、西武の打者として何度も対戦しました。全盛期の直球は見たことがない軌道でした。表現は難しいのですが、最初は速すぎて速さがどの程度か分からない感じでした。
よくスピンがきき、きれいな回転が特徴でした。ベルトの高さの球だと思って振ったら、胸元に来ていたこともありました。ホップすることはあり得ないが、そのくらいの勢いがあるように感じられました。
2009年のWBCがロサンゼルスで行われた際に食事し、じっくり話す機会がありました。自分の理論を持ち、とにかく野球への熱意にあふれていました。将来は日本のプロ野球で指導したいとも言っていました。
直後に米独立リーグに加入した時も「本気でやる」と話していました。日本のプロ野球復帰への意欲は失っていませんでした。何とか機会を与えられなかったものか、ただただ残念です。
伊良部氏のように根はいい男なのに誤解されやすく、孤独に悩む選手は、これからも出てくるのではないでしょうか。そういった選手をどうケアしていくか。二度とこういうことが起こらないために、周囲が交流を持つように心掛けることの必要性も感じました。
diary2011/08/23