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diary

初のメジャー

 ワールドシリーズ解説の仕事でアメリカに来ています。生で大リーグの試合を見るのは初めてのことなので、期待でわくわくしています。

 これまでもメジャーの試合の解説はありましたが、すべて日本のスタジオでのことでした。現場ではないので、どうしても画面からは伝わってこない部分がありました。それだけに、今回はそれらを自分の目や耳で確認したいと思っています。
 気になるのは何と言っても野球のレベルですね。メジャーは依然、世界最高峰のリーグには変わりないでしょうが、私たちの現役時代に比べて質が落ちたといわれています。果たしてそれが本当なのか。落ちているなら走攻守どの要素なのか。そして何が原因なのか。そこから日本の野球を分析し、どれほど距離が縮まったか、また何が足りないかも探ってみたいと思っています。
 本場のベースボールの雰囲気に触れるのも楽しみです。試合の演出の仕方、鳴り物がなくても楽しめるファン…。日本の球場とは違うことはテレビで見ていてもよく分かりますが、球団の営業担当者らにも話を聞いて、どんな努力をしているかも知りたいと思っています。
 出場する両チームの監督に話を聞く機会もありそうです。選手、監督として日本シリーズに出場してきた経験に照らし合わせながら、采配や心理に注目してみたいですね。また機会があれば、ここでもご報告したいと思います。それでは。

diary2008/10/23

正捕手の成長

 巨人が史上まれに見る大逆転でセ・リーグ優勝を飾りましたね。私はその一因には、阿部慎之助捕手の好リードがあったと思っています。それが端的に表れたのが、ともに同率首位で迎えた10月8日の阪神戦。巨人が三回に2点を先制した直後の守りでした。

 一死一、二塁で打席には金本知憲外野手を迎えます。前打席では内角球で遊ゴロに打ち取っていました。阿部はここでも初球、内海哲也投手に内角直球を要求しています。ボールにはなりましたが、これで金本の意識に強く内角を刷り込みました。
 効果はてきめんでした。その後は一切、内角には要求しませんでしたが、甘い球もあるのに金本は打ち損じていました。阿部はマスク越しにそんな金本の姿を冷静に洞察していたと思います。それは5球目から打ち取るまでの4球、すべて変化球を求めたところに表れていたと思います。
 1球、また1球。金本にしてみればいつかあの内角速球が来るのではという思いが深まっていく中、阿部は変化球を要求し続けています。

 最後もスライダーというよりはカーブでした。捕手は勝負球で緩い球を打たれると悔いが残るので選択に消極的になるところですが、金本のスイングを見ながら最後まで変化球が最善との確信があったように思います。きれいに空振りで三振を奪ったのですが、ここで二死を取ったことが振り返ると、この試合最大のポイントになっていました。
 阿部は大一番でこんなリードができるようになったのかと思います。北京五輪での経験も大きかったのかもしれません。巨人の正捕手の成長を実感すると同時に、これだけの存在なので彼の右肩負傷が巨人のクライマックスシリーズに突破にどう影響するかも心配です。

diary2008/10/15

清原

 清原和博選手がユニホームを脱ぎました。一部のマスコミには「番長」などと呼ばれ、こわもてで鳴らしてきた選手ですが、私には全く逆のイメージがありますね。

 ドラフトで意中の巨人に指名されずに涙したのは有名な話です。そして日本シリーズでその巨人を倒す直前に涙したのを西武時代にともにプレーした私は見ています。今季も復帰してから何度か涙を流す姿を見ました。私にはこれら繊細な清原の方が印象に残っています。
 まだ清原が若手だったころの話です。高知・春野でのキャンプ中に大勢の選手たちで焼き肉屋に行ったことがありました。座敷には煙が充満して、においが付くため、みんな服を脱いでいました。そこで清原はそれらを一枚一枚丁寧にたたんでいたのです。「僕はこういうの結構、好きなんですよ」とか言っていました。先輩たちに気を使っていたのでしょうが、きちょうめんなところがあるんだなと感心した思い出があります。
 また、ある年のオフ。台湾で行われた郭泰源(元西武投手)の結婚式に一緒に出席した時のことです。清原は律義に年長者たちの席を回り、酒をついでいましたね。
 もちろん時には近寄りがたい雰囲気はありました。ただ、それは一流のアスリートが集中する時には誰もがまとっているものでした。番長という粗野なイメージではなく、私には繊細な男でしたね。

diary2008/10/08

王監督

 皆さんもご存じの通り、ソフトバンクの王貞治監督が今シーズン限りでユニホームを脱がれることになりました。王監督に接したことがある野球人なら、それぞれに思い出はあると思いますが、私にもいくつかあります。

 西武の監督1年目でリーグ優勝した翌年、2005年のオールスターのことでした。前年の順位に従い、私がパ・リーグの監督を務め、王監督はコーチでした。こういう配置だとどうしても王監督に気兼ねしてしまいます。本当なら立場が逆の方が楽なのにと思っていました。でも、王監督はそんな私の気持ちを察してくれたように、自ら率先してノックバットを振るい、コーチの役割に徹してくださりました。その姿には頭が下がる思いでした。
 パ・リーグの監督同士ということで、よく相談にも乗ってもらいました。松坂大輔投手(レッドソックス)のメジャー移籍が決まったオフのプロ野球コンベンション。私は補強に積極的でなかった現状にもどかしい思いを抱いていました。そして、そのことを同席した王監督に打ち明けると「そういう話はどんどん球団に要望すればいいんだ」などとのアドバイスを頂きました。こんなふうに、常に質問をはぐらかすことなく、必ず最後まできちんと答えて頂きました。あの包み込むようなオーラはもちろんですが、本当に実直な人柄が印象に残っています。
 昨年、私が西武監督として最後の指揮を執ったのは奇しくもヤフードームでのソフトバンク戦でした。その時も王監督から花束を贈られるなど、お気遣いを頂きました。今は感謝の言葉しか見当たりません。今後も球界には必要不可欠な存在であることには変わりないと思いますので、お体を大事にされることを祈っています。

diary2008/10/03

田沢問題

 ドラフトの目玉といわれていた田沢純一投手(新日本石油ENEOS)がメジャーリーグ挑戦を表明したことには少なからず衝撃を受けました。

 

 確かに日本人がメジャーで活躍することは誇らしいことなのですが、日本球界に携わってきた人間としてはアマチュアの優秀な人材の流出に危機感を覚えずにはいられませんでした。

 本当は日本の球界を魅力的なものにしてアマ選手を引き留めるのがベストなのですが、そうするにはある程度時間がかかります。だから、がんじがらめにしないまでも、何かルールをつくる時期には来ていると思っています。
 例えば1度、メジャーに行くと、数年は日本でプレーできないなどリスクを持たせてはどうでしょうか。プロでもメジャーで成功したケースは一握りです。それは気持ちのどこかにメジャーで駄目でも日本に戻ればいいという甘えがあることが一因だと思っています。
 それはこれからメジャーに挑もうとするアマ選手にも言えることでしょう。だから日本のプロ野球という逃げ道を与えなければ高額な契約金などに目を奪われず、より進路には慎重になると思っています。
 日本のプロを経ずにメジャーで活躍する可能性はゼロではありませんが、限りなくそれに近いでしょう。異文化にも慣れながら成功することは日本よりはるかにハードルは高いと思います。日本でプレーしていればあったはずの成長も失われるかもしれません。コミッショナーをはじめ日本球界で指導的な立場にいる人たちにはアマ選手が賢明な選択ができるようなルールをつくって欲しいものです。

diary2008/09/20

日本代表監督

 今、球界は来春に参加するワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表監督の人選が注目されています。当初は星野監督が続投する雰囲気もありましたが、そこに待ったがかかりました。北京五輪でメダルを逃したこともあり、一部球団から明確な選考過程を求める声が上がりましたね。結局はコミッショナーに一任する方向でまとまったようですが、まさにもっともな意見で、わたしもこれに賛同したいと思います。

 代表監督というポジションはついこの間までプロには縁がないものでした。しかし、五輪にプロ選手が参加するようになりました。その五輪は次回は野球が行われませんが、依然、WBCという世界一を争う舞台は残っています。日本を代表する選手を率いる仕事ですから、その公共性というものは一球団の監督人事とは比べものにならないと思います。だからこそ密室で決めるのではなく、なぜその人物を選んだのか過程を明らかにしてほしいと強く願っています。
 代表監督には球場にファンを集めるようなことは期待されていません。だから現役時代の実績が最優先されるべきではないでしょう。タフな国際大会で勝てる手腕を持つ指揮官か否か、その一点に絞って選ぶべきだと考えます。

 サッカーのように代表監督を選び、その責任も負う委員会をつくることも一案にあると思います。それが難しければプロ、アマ問わず、世界の野球を経験してきた人たちが人選にかかわった方がいいかもしれません。皆さんにこれだけ注目されているのですから、とにかく誰に任せるにしても多くの人たちが納得いく手順を踏んで、納得いく理由が説明されるべきではないでしょうか。

diary2008/09/05

屈辱をバネに

 日本代表はメダルも確保できませんでした。打線は最後まで得点力不足に泣いていました。私はその一因にストライクゾーンの違いに対応できなかったことを挙げたいと思います。
 ゾーンは各国の審判員によってまちまちで、一般的に国際大会では日本に比べると外角に広く内角に狭いと言われますが、一概にそうとは言えませんでした。同じ審判でも一貫性に欠く場面が目につきました。星野監督の「ほかの世界でやっている感じ」という戸惑いもよく分かります。そして、あらためて日本プロ野球の審判の技術が総じて高いことも分かりました。
 普段、そんな審判の判定の下でプレーしている選手は、その正確なゾーンを体に覚え込ませているものです。でも、国際大会ではこの感覚は通用しません。この日の八回に森野が見逃し三振を取られた球はかわいそうでしたが、多少ボールと思っても振りにいかないといけない時はあります。九回、青木が粘りに粘って四球を得た、あのゾーンに対する柔軟さが不可欠だと強く感じました。
 これは一朝一夕に解決できる問題ではありません。一方で打撃練習でわざとベースから離れて外角球を打つなど、できることはあります。このメダルを逃した屈辱を、日本の野球を見つめ直す方向に変えてほしいと願っています。

diary2008/08/23

金逃す継投策

 日本代表は1次リーグに続いて韓国に敗れ、金メダルの夢が消えてしまいました。

 私は継投策が最大のポイントと踏んでいました。途中までは日本の思惑通りに進んでいたと思います。四回途中で杉内投手を代えたのも、和田投手の交代が遅れた前回の対戦の反省を生かしたのだと思います。六回に先発要員の成瀬を起用して1点は失いましたが、藤川投手を本来の八回から七回に前倒ししたのも選択肢の一つだったと思います。
 疑問が残ったのは八回の岩瀬の起用でした。韓国は前回対戦で右打者に代え、左を代打で使ってくるなど岩瀬を相当研究している印象を受けました。しかも今大会は状態が良くないのは、皆さんでもお分かりだったと思います。結果論でいうわけではありません。プロセスを見ていくと岩瀬にこだわる必要はなかったかもしれません。
 2日前のアメリカ戦でダルビッシュも調整登板し、復調の兆しを見せていました。救援は不慣れでしょうが、昨年のアジア予選から1度も韓国に投げていないという利点もありました。八回はたとえ同点でも先のことは考えず、悔いを残さないためにもエース投入が見たかったです。ベンチには私たちには計り知れない事情があったのかもしれませんが、表面的にはややもったいない形で金メダルを逃してしまったように思えました。

diary2008/08/22

チームメートがマイナスに

 北京五輪で野球の日本代表は初戦でキューバと当たりました。結果は皆さんご存じのように、日本は2―4で敗れています。

 

 決勝打は同点の五回無死二、三塁、ダルビッシュ投手を救援した成瀬投手と里崎捕手のロッテバッテリーが許したものでした。
 この場面、犠飛の可能性がある外野フライは許されません。理想は三振、もしくは内野ゴロです。里崎捕手はキューバの7番打者に対し、初球から直球で押して、見逃し、空振りと2球であっという間に追い込みました。
 成瀬投手の球は切れていました。誰よりも里崎捕手が球が走らずにリードに苦心していた今シーズンの出来とは違うことを感じていたと思います。高めに要求した3球目の直球には、三振を取りたいという狙いも見えました。
 これがバックネット方向へのファウルになっています。打者のタイミングは合ってきていました。里崎捕手もそう感じていたと思います。だからこそ、この辺で変化球でアクセントを付けても良かったのです。
 ですが、4球目。里崎捕手は3球目と似たような高さ、コースにミットを構え、直球を要求していました。ここまで続けると打者の目は慣れてきます。しかもキューバの打者は速球に強いです。さすがに打ってきましたね。2点適時打を浴び、そのまま逃げ切られる、痛恨の1球になっています。
 里崎捕手は危険を察知してまでも直球にこだわっていました。それほどシーズン中に比べ、成瀬投手の球質に手応えがあったのだと推察します。それはその後の成瀬投手の出来を見れば証明されているのですが、この試合に限っては普段の成瀬投手を知っていることが皮肉にもマイナスに働いていたと思います。

diary2008/08/20

見る五輪

 北京五輪が開幕しましたね。 私にとって五輪と言えば、1972年のミュンヘンの男子バレーボールですね。当時小学生の私は「ミュンヘンへの道」というアニメに夢中でした。実際の男子バレー、日本代表チームの面々が実名で登場し、その回の終わりにはミュンヘン五輪まであと何日とカウントダウンしていた番組です。アニメでは最後に金メダルに輝くのですが、現実でもそうなった時の興奮は今でもよく覚えていますよ。
 ただ、私にとって五輪はテレビで「見る」もので「出る」ものではありませんでした。ロッテの西岡選手などは今回、日本代表に選ばれた時、子どものころ「僕らが出るのは2008年か12年だと地元の友だちと話していた」と聞きましたが、そんな現役選手の話を聞くと隔世の感を覚えますね。と同時に、自分は選手として最後まで五輪に縁がなかっただけに、素直にうらやましいとも思います。それは今の子どもたちの進路に米大リーグという選択肢があるのと同じように。
 五輪の野球は北京でひとまず終わますが、来春には2度目のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開催され、子どもたちに日の丸を背負って世界の頂点に立つという夢は依然あります。「星野ジャパン」は未来の球界を担う子どもたちに、その夢の実現への強いモチベーションをはぐくめるのでしょうか。私は今回も「見る五輪」になりますが、結果とともに戦いぶりに注目したいと思っています。

diary2008/08/11

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