飛ばないとされる統一球をものともせず、両リーグ断然トップの48本塁打を放った中村剛也選手(西武)が来季年俸2億5千万円(推定)で契約更改しました。大阪桐蔭高からプロ入りした当初は、ここまでの選手になるとは思っていませんでした。長打力が武器でしたが、守備や機動力への評価が低く、レギュラーではなく代打で使えればというのが球団の期待感でした。
私の西武監督時代も、まだ粗さがあり、レギュラーに定着できませんでした。打撃に柔軟性はあるものの、速球、特に高めの速球に弱点がありました。マシン打撃では高めに速球がくるように設定し、徹底的に打ち込みをさせたのを思い出しますね。
今季も活躍した同世代の中島選手や栗山選手にも言えるのですが、中村選手は厳しい練習に耐えられる体力を持っていました。これが周囲の予想を覆す成功を収めた最大の要因だとみています。
2009年のWBCでは日本代表から漏れました。08年には本塁打のタイトルを取っていましたが、中村選手を推す声はほとんどありませんでした。不調になると長く、短期決戦では使いづらいとされたからです。
しかし、今は3度凡打しても4度目の打席には本塁打が出るのではと思わせるほどの力を備えました。次回WBCでは真っ先に日本代表の4番候補に挙がるでしょう。あらためて選手の潜在能力とは分からないものだと感じますね。
diary2012/01/12
かつて西武でバッテリーを組んだ工藤公康投手が48歳で引退を表明しました。ことしは野球教室で一緒になることが多かったのですが、よく肩が痛いと漏らしていました。ただでさえ年齢を重ねるほど、投げ続けていなくてはなりません。どこの球団にも所属せず、来季プレーすることは難しいことだったと思います。
しかし、もう十分にやり切ったように見えます。今回はDeNAから監督就任を要請されていたように、近年はその気になればすぐ指導者に転身できたでしょう。評論家のオファーも少なくなかったはずです。
そんな中で現役一本にこだわっていました。とにかく野球が好きというほかありません。今夏には米国で入団テストを受けることを視野に入れていると話していました。最後まで衰えなかった情熱には感心しますね。
若い頃から、これと思った上達法を積極的に取り入れてきていました。プロはそういった類いの話をほかの選手に隠すものですが、工藤は聞かれたら何でも答えていました。教えてもまねはできないとの自負があったとはいえ、雄弁で実績を残す、数少ないタイプの選手でした。
この年齢まで第一線でプレーし、40代の選手に勇気を与えたことも功績に挙げられると思います。選手寿命を延ばすことに一役買ったように思えます。惜しまれつつユニホームを脱ぐ形にはならなりませんでした。潔い最後とも言えなかったと思います。従来の大投手とは一線を画した引き際ではありましたが、球史に残した足跡は勝るとも劣らないです。
diary2011/12/29
中島裕之選手(西武)がポスティングシステムで米大リーグに挑戦します。2007年まで西武でともに戦い、その後もネット裏から成長ぶりを見ていました。成功の鍵を握っているのは、やはり守備での適応でしょう。
遊撃手として年々上達はしていました。しかし、松井稼頭央選手(楽天)の挑戦時と比べると劣っています。西武の先輩遊撃手も、あれだけメジャーで苦労したのです。メジャーは打球や走力など全てでスピードが違います。特に1歩目の俊敏さは日本で無難でも、メジャーでは厳しいものがあります。捕球後、体勢をある程度整えないと送球できないので、その壁にもすぐにぶつかるに違いありません。
まずは遊撃でどれだけやれるか、やるだけやって駄目なら三塁などで勝負すればいいと思います。遊撃に固執しているように見えないので、柔軟に対応するのではないでしょうか。
打撃は十分通用すると思っています。配球を読むのではなく、好球とみれば攻撃的に初球から打つタイプです。打順は7、8番、右方向へ打てるますから2番でも面白いと思います。レギュラーで出られるなら成績は打率は2割7、8分、本塁打は10~15、打点は50~60の予想でしょうか。
故障に強く、精神的にも前向きで、落ち込むところがありません。年齢的には一番いい時期に行きます。日本人内野手にはハードルが高かったメジャーですが、守備の負担さえクリアできれば1年目から活躍できるとみています。
diary2011/12/17
来季から韓国プロ野球の斗山のヘッドコーチに就任することが決まりました。2009年のWBC日本代表で総合コーチは務めましたが、本格的な現場復帰は07年の西武監督時代以来となります。
要請を受けたのは夏でした。日本で復帰したい気持ちが強かったので、即答はできなませんでした。しかし、先方から若い新監督をもり立ててほしいと熱心に誘われました。
もともと韓国野球に興味がないこともなかったのです。その強さをWBCを通じて感じていたからです。さらに今春のキャンプでLGの臨時コーチに就任した際、選手が上達することに対して貪欲だったということからも好印象を抱いていました。
何より勝負の世界から離れて4年。そろそろユニホームを着て、しびれる戦いをしたかったのです。周囲には反対の声もあって答えを出すのは秋までかかったのですが、新たな世界に飛び込むことを決心しました。
早速、チームが宮崎で行っている秋季キャンプに合流しました。ヘッド格のコーチは西武時代に経験しているとはいえ、言葉がまだ分からない中、コーチ陣を束ねることは簡単ではありません。中には心を開こうとしないコーチもいます。シーズンに入り、選手を含めてチームの生活が懸かるようになると、もっと苦労は増えることは確実です。しかし、それら全ての経験が私の野球人生を豊かにすると思っています。
diary2011/12/10
落合博満監督の退任が決まっていた中日が日本シリーズでソフトバンクに敗れました。勝負が決まった第7戦の夜、博多の飲食店である中日選手と一緒になりました。
一部で選手が敬遠しているとみられていた落合監督ですが、その選手によると、実はそんなことはありませんでした。例えば故障してもすぐに見切るのではなく、長い目で回復を待つ一面があったそうです。
マスコミ受けが悪いとか、ファンサービスが足りないとか批判された一方で、選手には支持されていたのだなと思いました。
今シリーズ、落合監督は手塩にかけて育てた選手に全てを任せていました。森コーチに一任している投手部門に加え、攻撃も野手に全てを任せていました。谷繁元信選手に安打が出なくても、代えることはありませんでした。これまで何度も見せてきた深く考えられた作戦もありませんでした。驚くほどベンチが動かなかったのです。
しかし、この“無策”こそ、落合監督らしかったですね。8年間の集大成を懸けた大舞台です。選手がどれほど落合野球を理解し、それを体現して披露することを目指し、また自ら確認したかったように見えました。
もう一つ、仮に自分の力で勝つと周囲に持ち上げられることになり、監督業への未練も出てくるかもしれません。そうならないようにしているようでもありました。いずれにしても最後まで「オレ流」を貫いたように思いました。
diary2011/12/05
巨人の清武英利球団代表がコーチ人事をめぐり、渡辺恒雄球団会長を公然と批判し、内部対立が表面化しました。球界最大のイベントである日本シリーズ直前からシリーズ中まで、このような話題で騒がせていることが残念でなりません。
私が西武で現役だったころ、巨人は特別な球団でした。パ・リーグのチームは巨人を中心にしたセより下にみられていました。西武だけではなく、パの覇者は日本シリーズで巨人を倒すことを目標にしていました。私も最高の舞台で球界の盟主とされるチームに勝つことで、世間に認められたいという思いは強かったです。
しかし、時代は変わりました。2004年の球界再編騒動で渡辺会長の「たかが選手」という発言は世論の猛反発を受けました。歩調を合わせるように巨人人気は低下し、放送権が値崩れ、今では地上波で放送されないのも当たり前になりました。
東日本大震災を受けての今季開幕をめぐっても、強硬に予定通りの開催を主張した巨人への風当たりは強かったです。球界において、かつてのような求心力は見る影もありません。その上、今回の騒動です。どちらが正しいのか、そんなことはよく分かりませんし、どちらでもいいとも思っています。ただ、日本シリーズに水を差さない球界の不文律さえ守れないようでは、名実ともに巨人の時代は終わったと言われても仕方ないでしょう。
diary2011/11/25
中日が日本シリーズ進出を決めました。同じくシーズン中に監督退任を発表した日本ハムが、そこから失速していったのとは対照的でした。むしろ発表を機に、地力を発揮した観さえあります。私はそこに落合監督が8年間、手塩にかけてチームをつくり上げた成果を感じずにはいられませんでした。
落合監督は常に選手とは一定の距離を保ってきました。プレースタイルに好みはあったかもしれませんが、基本的には実力が全ての方針で起用していました。監督にべったりという選手の存在も聞きませんでしたからね。
おべんちゃらなど通用しない指揮官です。実力がないと使ってもらえない認識はチームの隅々まで浸透していました。だからこそ、キャンプでもあの猛練習が成り立ったのだと思います。
そして選手はいつしか、監督交代の影響をプレーには出さないほどの強烈なプロ意識を身に付けていたのではないでしょうか。今の中日の戦いぶりを見ると、監督が誰でも、選手は自らがやるべきことを深く理解しているように見えます。そのくらい成熟した大人のチームになりました。
日本シリーズはパ・リーグを圧倒的な力で勝ち抜いたソフトバンクと対戦します。一筋縄ではいかない相手です。しかし、中日は選手個々の経験値では上回ります。それが日本球界最高峰の舞台でどのようなプレーで表現されるのか、「落合野球」の集大成に注目したいと思います。
diary2011/11/15
ドラフト会議で日本ハムが巨人との競合の末、菅野智之投手(東海大)との交渉権を獲得しました。昨年は巨人が沢村を単独指名し、一番いい投手がなぜと不可解でした。菅野も複数の指名があっていい才能を持っています。今年も巨人の単独指名なら、ドラフトの形骸化に拍車が掛かっていただけに、まずは日本ハムの勇気ある指名には拍手を送りたいと思います。
その上で、菅野投手にはぜひ日本ハムに入団してほしいですね。回り道すると、失うものがあまりにも大きいと思うからです。
次のドラフトで今の評価を保てるかは分かりません。故障の可能性だってあります。何より自らの課題を克服するために、一日も早くレベルが高い世界に飛び込んだ方がいいです。
私の現時点での評価は、菅野投手よりロッテが1位指名した藤岡投手(東洋大)が上です。菅野投手のフォームはリリースの際に前脚が突っ張るのが気になりますね。バランスがいいとも言えません。下半身主導のフォームに修正しないとプロではきついです。今の球威ならプロでは捉えられてしまいます。
プロ入りすればその課題が浮き彫りになり、周囲に指摘されるまでもなく、修正の必要性を痛感するでしょう。
伸び盛りの年齢です。最も重要と言える時期に、質量とも上の環境に身を置くチャンスをみすみす手放し、その才能が最大限引き出されないのは惜しいです。菅野投手が誰より自分のために、賢明な選択をすることを願っています。
diary2011/11/09
内川聖一選手(ソフトバンク)が40年ぶりにセ、パ両リーグ首位打者となりました。今は交流戦で他リーグの投手と当たるとはいえ、慣れるのも難しい移籍1年目でいきなり好結果を残しましたことは特筆に値します。
シーズン序盤から自信を見せていました。球場で話す機会があり「パの投手はいいだろ?」と聞くと「いいですね」と答えつつも「でも、面白いですよ」と付け加えていましたから。
セの投手はカウントが不利になると、低めの変化球を投げてくることが多いです。同じ状況で、パの投手は直球で力勝負にきます。内川はセで変化球への対応力を十分に磨いてきました。そこに不安がないため、新天地では力がある直球に対処することだけに集中できたと思います。
それにしても、これだけの成績を残すとは思っていませんでした。最大の要因は、ソフトバンクが優勝を争うチームだったことがあると思います。低迷が続いていた横浜では個人成績を追うしかありませんでした。
内川選手は今季、プロで初めてチームの勝敗を背負ってプレーしました。その緊張感や、やりがいが持っている能力をさらに引き出したように見えましたね。
移籍時には優勝への渇望を口にしていました。ファンへの義理立てからではなく、本心からそう言っていたと思います。また、そういう状況に身を置くことで、レベルアップすることも直感的に分かっていたに違いありません。
diary2011/11/05
阪神が真弓明信監督の辞任を発表しました。事実上の解任と言えます。阪神は以前と比べ、毎年優勝を期待される球団になっています。優勝できないだけではなく、3位にも入れなければ、この結末は仕方ないのかもしれません。半面、真弓監督は人気球団を率いるがゆえの苦悩も深かっただろうなと思いました。
阪神ではどうしても選手の注目度が高くなります。真弓監督のような自分の色を出さない監督は埋もれてしまいます。チームが勝てば選手の手柄、負ければ監督の責任というのが他球団より色濃く出るのではないでしょうか。
そういう意味で星野仙一監督(現楽天監督)のような強烈なリーダーシップを持っている人が適役なのでしょう。野村克也監督も勝てませんでしたが、今のチームの基礎をつくりました。
真弓監督はおとなし過ぎたのかもしれませn。象徴的だったのは采配面で、ベンチ主導ではなく、主に選手任せでした。それが本人に言わせれば「真弓色」なのでしょうが、周囲には無策に映ることが多かったようです。
そんな中で評価できる采配もあると思います。ベンチの起用法でいわば聖域になっていた金本知憲選手を4番から外し、最終的には連続試合出場までストップさせました。
チーム内にもファンにも影響力が大きな選手です。力の衰えを考えると当然の措置でしたが、決断するまでは悩み抜いたことと思います。誰かがやらなければいけない役目を背負ったという意味では一番の功績でした。
diary2011/11/01